so near,but still so far....



こいつじゃなかったら、こんなに煩わしい思いをする必要があっただろうか。


「すまないな。こんなに遅れてしまって。」
 嘉神の声に半屋はのろのろと腰を上げる。植え込みの段差に腰掛けて校庭のサッカー部 を眺めていた。煙草も吸わずに、だ。人を待たせることしか知らない半屋が嘉神に待たさ れた。半屋は文句の一つも言わない。眉間の皺さえない。
「半屋?」
 訝しげに嘉神が声をかける。その声にすら。
「あっ?」
 初めて我に返ったように振り返る。嘉神の姿を認め、初めていつものように眉間に皺を 寄せる。
「…やくしろよ。」
「…遅れてすまなかったな。」
 嘉神は繰り返す。
「別に。」
 半屋は短くそうとだけ言って背中をみせた。別に怒ってはいない、そういう意思表示な のだろう。少し、おかしかった。いつもなら同じ事を繰り返すと不愉快そうな顔をするは ずなのに。


 ―――――30分前。


 半屋は梧桐からの決闘状を片手に普通科の校舎を歩いていた。大方生徒は帰宅してしま っていて、廊下に人気はない。半屋がこの時間まで学校に残っていたのは寝過ごしたに過 ぎない。西日に眼をさますと傍らに骨張った墨字の決闘状が置かれていた。半屋は取り敢 えず一服しながら決闘状の文字を見ていた。この時間なら梧桐は生徒会室だろう。中味は 面倒なので読まない。またはぐらかされるのはわかっていたけれども行かずにはいられな い。最近の呼び出しはまた頻繁だ。嘉神と会おうというときは常だ。それが意図的だとい うことに、半屋はまだ気付いていない。
「……。」
 廊下の窓から屋外の渡り廊下が見える。中庭の緑越しに。そこに見えた尋常じゃない大 きさの肩。見間違えるべくもない。半屋は立ち止まる。少し遅れるということくらい言っ ておいてもいいと思った。半屋は廊下の窓に手をかける。


 ブルーのリボンが見えた。


 半屋の指が窓ガラスの上をつい、と滑って降ろされていく。嘉神の向こう側に女子の制 服。短いスカート。胸元のリボン。レイヤーの入った艶やかな黒髪。その手にはスカイブ ルーの小さな紙袋。濃いブルーのリボンが結んである。
 鮮やかだったわけでもない。それでも半屋は瞬きをした。それ以上歩を進められずに立 ち止まってしまった。窓ガラス一枚隔てた向こう側がひどく遠い。鈍い自分が嘉神とそこ にいる女子の間に存在する空気を読みとってしまった。


 彼女は嘉神に何を言ったのだろう。


 彼女は何も言わなかったのかも知れない。嘉神の表情はうかがえない。嘉神が女子達に 請われて家政部なんてわけのわからないものに在籍しているのを知ってる。そこで製菓な どしていることも。彼女がもっているようなあんな風にラッピングした包みをくれたこと もあった。勘ぐったりするのは深読みのしすぎだろうか。半屋は一人で、苦虫を噛みつぶ したような顔をした。
(勘ぐる、だと?)
 覗き見をしている自分に我に返る。他の女とキスをしている現場を、その当時勝手に “彼女”面をしていた女に踏み込まれたことがある。自分はあれと同じことをしているん だろうか。


 でも。気付いてしまった。


 今来た道を引き返す。梧桐の決闘状は制服のポケットにねじ込んだ。そんな気分にはな れなかった。お陰で早く着きすぎて、嘉神を待つはめになった。


 嘉神が台所の床に買い物袋を置いた。屈んだ身体を起こそうとしたのを捕らえた。
「半屋…?」
 嘉神の耳から側頭部を両手で掴む。斜に構えてキスをした。半屋、と呼んだ嘉神の唇が 開く。舌をねじ込もうとすると前歯があたって音を立てた。
「半屋、ちょっと待て、半屋。」
 巧く行かない。いつもそう思う。巧くやれてたはずのキスもセックスも乱雑なだけだ。 冷蔵庫の扉を背にした嘉神は半屋の制服の二の腕を掴む。半屋はその手を振り払った。背 伸びして嘉神のネクタイを掴んでキスを繰り返す。嘉神の逃げる舌を追う。嘉神が半屋の 胸を押した。
 唇が離れて、嘉神はやっと酸素を吸った。半屋は濡れた唇で、嘉神と眼を合わせようと はしなかった。自分で制服のネクタイを外した。


 嘉神は何も言わなかった。自分からは訊けない。覗き見たようなことを後ろめたく思っ てる。何気なく「見かけた」と言えればいい。冗談みたいに笑えればいい。でもそんなに 器用じゃない。今までなら、言い訳もしたことはない。それはまっすぐだったからじゃな い。開き直っていただけだった。それがいまじゃ開き直ることもできず、嘉神との関係の 中では出口をなくす。
 嘉神のネクタイに指を突っ込んで解く。慣れた行為だった。嘉神は自分からシャツのボ タンを外さなかった。まだ性急すぎる半屋の行動に躊躇してる。半屋は自分の中の混乱に 気づいて欲しいと思ってる。だけど伝える術を知らない。眼も合わさずに彼のボタンを外 して露わになった首筋を痕がつくほど強く口付けた。半屋の指が嘉神の胸を這い上がって いく。
「感じてんのかよ。」
 初めて半屋が口を開く。厭に硬質な声はまるで感情を押し殺そうとしているようだった。 半屋から仕掛けたクセに不貞でも働いたかのような言い方だ。
「く。」
 嘉神が赤くなる。半屋は嘉神の乳首に唇を押しつけた。舌先でなぞると嘉神の躯が引き つる。片手を嘉神の下半身に伸ばした。半屋が床に膝を付く。嘉神の制服のジッパーを下 ろした。嘉神が止めようとするのを聞かなかった。
「やめ…。」
 もう口に含んでる。奥までくわえ込んで、舌を使う。嘉神は冷蔵 庫の扉に指先を立てる。眉間に皺を寄せて眼を閉じた。見ることができない。半屋はわざ と音を立てた。ぴちゃり、濡れた音が闇の中に響く。膝が震える。立ち上がっていく欲望 を止められない。嘉神は自分の手の甲に歯を立てて、乱れていきそうな声を止める。半屋 はくわえながら自分のシャツのボタンを外した。
「おい。」
 嘉神の欲望が立ち上がり始めた頃に突然半屋が口を外し、濡れた声でいう。ぼんやりと 瞼をあげた先に見てしまった。唾液と先走りで、半屋の濡れた唇と自分の性器が繋がるの を。
「座れよ。」
 はだけたシャツを強く引かれて嘉神はバランスを崩した。嘉神の背中は冷蔵庫の扉の上 を滑って半屋と同じ高さまで降りてくる。台所の床に、嘉神が冷蔵庫の扉にマグネットで 留めたレシピやスーパーのチラシが散乱した。


 ブルーのリボンが頭から離れない。彼女は嘉神のことが好きだ。背の高い嘉神を見上げ る彼女に、嘉神に向ける想いを共有したことを直感した。人の気分になんか鈍いはずの自 分がどうして気付いてしまったんだろう。
 混乱の原因が分かるにつれて一人では抱えきれなくなった。
『あたしのこと好き?』
 鼻にかかる声を思いだした。
『ねぇ、好きって言ってよ。』
 どの女だっただろう。同じ化粧と服と匂い。今でさえ嫌悪感に襲われるのに。自分の中 にあるのは嫉妬と独占欲で。なにひとつ変わらない。束縛されることを厭うたくせにそれ を嘉神に押し付けようとしてる。


「…っふ…。」
 半屋は息を詰めた。いつのまにか形勢は逆転していて、半屋の背には床があり嘉神の肩 越しに天井が見えた。嘉神は半屋の両手首を掴んでいる。血が止まりそうだと思った。止 まってしまえばいいとも思った。自分の体内にある嘉神が内部を突き上げるたびに、この まま意識を失ってしまえればいいと思う。嘉神の腹部に触れたいと思った。背中を抱きた かった。嘉神は半屋の手首を離さなかった。半屋は唇を咬んだ。喘ぎ声などいまの嘉神に 聞かせたくはなかった。
 なにもなかったのか。半屋に言うべきことなど。何かあったとしてもなにも知らないは ずの半屋には言う必要のないことと考えているのだろうか。


 何も知らないんだ。嘉神のことを。何も。


 突き上げられて、半屋の目尻で耐えていた雫が落ちた。嘉神の欲は半屋の体内を濡らし、 膝を高くされた半屋は自分と嘉神の腹部を濡らした。嘉神が手首を握っていた手を離す。 半屋の指先がひくりと動く。身体が離れて、残滓は半屋の内股をまた濡らした。まだ惜し そうにひくつく身体に半屋は顔を顰める。痺れた腕を台所の床にたたきつけた。
 セックスをしたあとも、荷物は軽くはならずに、むしろどんよりと重みを増した。まだ 迷ってるのは自分だ。嘉神の存在を得た代償にたくさんの繋がりを断ち切った。半屋は嘉 神のように賢くもなく、器用でもない。複雑なことを処理できず、他人のことを考えて優 しくすることもできない。
 ツケが廻ってきたと考えられなくもない。過去に傍にいた鼻にかかった声を出す女達と 自分がそう変わらないのだと思う。
「半屋。」
 嘉神は半屋のアタマの両脇に、自分の両肘をついた。かがみ込んで額をぶつけてくる。 呼吸を整える。互いの胸を伝う汗が触れた部分から混じり合う。
「半屋。」
 嘉神は半屋の名前だけを繰り返した。胸が痛む。離れたくない。半屋は床を殴った手で 嘉神の太い首に触れる。失いたくない。
(ダメだ…。)
 こんなに傍にいるのに。時々、強烈に心を覆う。嘉神は太陽の匂いがする。嘉神は自分 じゃなく、彼女を、彼女みたいな人を選ぶべきだった。その方が真っ当だろう?


 分からなくなる。踏み込んではいけないと二の足を踏んで。訊ねたなら嘉神はきっとい つもの生真面目さで答えるだろう。半屋が望みさえすれば嘉神はずっと半屋の傍にいてく れるような気がした。彼女よりも傍にいる。いまは、誰よりも傍にいる。なのにどうして 遠いんだろう。同じことを嘉神が半屋に望むのか分からなかった。嘉神は自分よりずっと 大人で、半屋と離れてても結構ドライに何気なく生きていくのかもしれない。
(…ダメだ…。んなんじゃ…。)
 半屋は両腕を嘉神の背中に廻した。どうしても訊けない。
「半屋。」
 また、嘉神の声が自分を呼ぶ。
「んだよ。」
「そんな顔するな。」
 右胸が痛んだ。そんな顔、させてんのはお前だ。束縛されたくないってずっと思ってき たのに、こいつばかり束縛できない。なんにも、与えられてない。こんなに傍にいるんじ ゃなかった。そうとまで思うのに。思わせてるのは嘉神なのに。
「…のせいだろ。」
「え?」
 聞き返す嘉神の鎖骨を汗が伝い落ちた。見た訳じゃない。自分の胸に落ちた。こんなに も近くにいる。多分誰よりも。
 お前なんだよ。
 半屋は声にせずに繰り返した。考えても考えても彼以外にはいない。こんなに煩わしい 想いを半屋に強いるのは。抱き合っていても、自分ばかりが彼を想っているような気がす る。抱きしめてくれるのに一方通行みたいな気分が消えない。厄介なのは、傍らにいると きの方がその思いがより強くなることだ。
 離れているときに彼を想う。遠く感じることはあれどそれは物理的な距離故と処理でき る。でも今はこんなに傍にいる。この声も肌も唇も手も指も汗の匂いも、一番近くにいる。
 『愛』なんて気分悪い。そんなんじゃない。何か違う。そういうのとは違う。言ってし まえば簡単なことを頑なに拒み続けるから難しくなるのだろうか。
 言えばいい。でも言えない。嘉神ですら、言わない。


 出会わなければよかったと思うことがある。その存在を知らないでいたならばこんな想 いも知らずにいられた。こんなにも煩わしい想いに囚われる必要もない。それとも、嘉神 でなくても同じように他の誰かに出会い、この想いを教えられただろうか。
 他の誰かに心を向ける自分を想像できなかった。半屋は嘉神の身体に廻した腕に力を込 める。いつだって捨てる準備があった。どうしようもないと気付いたのは、自分にするよ う嘉神が他の誰かに微笑む姿を想像したとき。胸が痛んだ。今自分にあるのは捨てられる かも知れない脅え。
 振り払おうとしても捨てられない。囚われているのではなくしがみついて離れない。
 口には出さない。言えない。抱き合っても足りない。それでも、


        ・・・・・お前がいいんだ。


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Thanks 5000HITS!  ollie様。
 頂いたお題は[so near,but still so far]。またなんだか想像のかきたてられる含みの あるイサフシ好みな感じでした。PointBreakというボーイズグループの曲名だそうで。結 局音は聞いていないんですがネットで歌詞検索に成功。この文章完成させた後に見つけた にも関わらず、かーなーりいい感じです。イサフシの嘉半イメージにかなり近いかも知れま せん。ollieさん有り難う。
 文章の方は半屋サイドからお送りいたしました。テンションの低さがいかんなく発揮さ れてます。色気ゼロなセックスシーンがすごいです。反省。でもリク書きいいですね。楽し いです。てな感じで、これからも宜しくお願いいたします。         2003.9  イサフシカイ拝 
LTZ.byK/Isafushi