Walk Alone. +



 嘉神の手首が堅いギプスから解放されて、やっと白い包帯だけになった。クラスメイ トに落書きだらけにされたギプスに苦笑いしながら歩いている嘉神も割と見物だったけ れど。


 嘉神が襲われて大怪我をした。一度だけ病室を訪れた。帰ろうと立ち上がった半屋の 腕を、嘉神は掴んだ。
 復讐を考えた訳じゃない。早良の顔に見覚えがあった。夜の渋谷で、人混みの肩越し に目があった。よくあることだ。目があったかどうか確かめてもいない。早良の視線は 他の誰とも違ってた。明らかな異質を嗅ぎ取って半屋は早良の視線をにらみ返した。早良 はわざと媚びたような視線を作り笑い、視線を逸らした。
 厭なヤツだと思った。
 暗い目をしていた。一見まともそうな顔をしているのに、その目には感情が薄い。そ のくせ何かあれば負の感情だけが噴出する。その辺の馬鹿なガキとは違う。単純ではな い上に強度もそれなり。わざわざ巻き込まれにいく必要もない。


「わかるような気がするんだ。」


 ぽつり、学校に帰ってきた嘉神は聞きもしないのに話し始めた。
「俺には、兄がいたんだ。」
 胸が痛むような顔をした。もうこの世にはいない人。
『嘉神圭一』
 それが死んでしまった人の名前。早良もその名を持っていた。圭一と継一のもうひと つの共通項は、自分じゃないほかの誰かが決めたレールに乗らなければならなかったこ と。嘉神の兄は自ら選んでそこから離れた。早良は、そこを外れてしまった自分の存在 を信じられずに自分を追い込んだ。
 そうかよ。
 半屋は興味なさそうに呟いた。嘉神も、早良も梧桐も八樹も、御幸も。過去の重さに 耐えながら生きているのだろうかと。
 そんなことを思いついて、その思考の重さに耐えられなくなった。
 救えなかったとしても、赦すことくらいはできる。その重荷を少しでも軽くしてやれ たらいい。嘉神がそんな風に考えているのがわかった。あの日病室で立ち上がった半屋 の腕を嘉神は掴んだ。
「だから、」
 そう言った。だからどうか追いつめないでやってくれ。そうとでも言いたかったのだ ろうか。半屋が腹を立てたのは、早良にじゃない。俯き加減に笑っていた嘉神の真情が 理解できなかっただけで。半屋が早良を殴り飛ばすとでも思ったのだろうか。殴られた のは半屋じゃないのに。


 授業中の誰もいない屋上のフェンスを背に空を見上げてた。
 雨上がりの空は大きな風が黒い雲を蹴散らしていく最中で、必要以上に青い空が顔を 覗かせていた。半屋の定位置である資材置き場は水はけがよくない。それでも屋上に上 がったのは気まぐれにすぎない。
 煙草を切らした半屋は親指の爪を咬んだ。腰を下ろしたコンクリートはいつもの資材 置き場よりは堅く、口の中が粘つくような気がして不快だった。
 鉄製の扉が開いて、半屋は組んだ両手を胸にのせたまま視線だけで彼を見、眉間の皺 を濃くした。姿を現したのは早良だった。
「あ。」
 目があった。声を発したのは早良の方だ。
 一学年上の背の高いその男はなんの躊躇もなく半屋の方へ向かってきた。屋上の南側 が見渡せる絶好の場所。そこにたまたま先客がいただけの話だ。他の誰もが忌避しても、 早良は半屋を、恐れをもって意識することはない。それは夜の町で出会った時からわかっ ている。
 早良の片頬は赤く、大きな背中には泥製の足跡があった。“事件”以後、早良の存在 が公になって、早良の喧嘩屋家業の犠牲者たちは復讐を次々と実行した。成功例はまだ 聞かない。
「あー、やってらんねぇな。」
 半屋の横で早良が呟いた。半屋以外に誰もいない。独り言は誰に聞かせるために発さ れたのだろう。
 かしゃん。
 早良が掴んだ場所から、フェンスが鳴る。早良はおもむろにフェンスをよじ上り始め た。フェンスを揺らし片手で一番上まで昇りきる。その揺れは真下でフェンスに凭れて 座る半屋の後頭部も揺らした。不満でも、半屋はなにも言わなかった。早良はフェンス の向こう側に両足を下ろし、一番高いところに腰掛けた。


 嘉神の兄を思った。想像でしかないけれど。


 半屋は首を反らして頭上に早良を見上げた。早良の白いシャツは屋上の風をはらんで 大きく膨らんだ。歪んだスニーカーの足跡と一緒にシャツの裾がはためいて、引き締まっ た脇腹と背筋が見えた。
 早良は最上段にまたがって眼下の町を見下ろす。遠くのビルが強い日差しを反射して 光ってる。
「ほー、飛行船。」
 早良は笑った。遙か向こうを、ラグビーボールみたいな飛行船が泳いでいく。高さな んか、ほんの2メートル変わったくらいだ。なのに日差しはずっと強くて、 風も良く吹いてる。景色も全然違う。そんな風に感じる。
 見上げていると早良が半屋を見下ろす。長い前髪が風になびいて額を隠す。さっきま で笑っていたクセに神妙な目になる。半屋は目をそらした。
「悪かったな。」
 早良はそう言った。半屋と嘉神の関係をどこで聞いたのかと思う。でも。嘉神を巻き 込んだことに対する謝罪を聞きたい訳じゃない。それは嘉神と早良の間でどうにかすれ ばいいことだ。半屋は関係ない。
 だから答えずにいた。
「あいつ、変なやつだよな。」
 早良の意識がまた、空と日差しを跳ね返す眼下の街へ遷ったのがわかる。
「『大丈夫か?』だってさ。それは俺のセリフ。」
 半屋は立ち上がる。それでも早良は半屋がここから立ち去らないという確信があった のだろうか、話し続ける。
「考えてみりゃ学年も下のクセに。梧桐と言い嘉神と言い若者らしくねぇよな、口調が。」
 フェンスが強く揺らされて、早良がバランスを崩す。強い腕で持ちこたえて下を見る と白い綿毛のような頭が自分に向かって来るところで。
 それほど強くはないフェンスに二人分の体重はよろしくない。小柄な半屋はともかく、 早良は嘉神並みの図体だから。軋んで傾いても半屋は無表情で当然のように早良の横に 腰掛けた。たった2メートル。半分はフェンスの外側にいる開放感とスリルが広がる鳥 瞰図を色濃くさせる。半屋はわざとフェンスを揺らした。
「あ″〜〜!!」
 早良が悲鳴を上げる。
「おまっ、なにしやがんだ。殺す気か。」
「ばっかじゃねぇの。」
 クールを装ってた早良の取り乱した姿を半屋は鼻で笑った。早良は悔しそうに顔を赤 くする。
 嘉神は名前の話をした。
 早良は『継一』。家の重みを背負うための名前。嘉神は『己一』で。名付けた人はな にを願ったんだろう。『己』という字。しつこいくらい自分を貫こうとする嘉神の暑苦 しさにぴったりだ。
 人を傷つける行為すら自分の意思じゃなかった。早良はどこへ逃げていきたかったの か。逃げられないのも自分の意思。嘉神はまだ、飛び出したまま二度と会うことの出来 ない場所へ行ってしまった人に囚われている。なんにも共通点なんかないみたいに思え る二人を繋ぐ過去と、未来。
 半屋ならどうしたろう?
 関係ないことは考えない。それしかない。
「『わからなくもないんだ』、だとさ。どうして嘉神があんなに簡単に攻略できたのか わかったよ。嘉神は、気付いてたんだな。」
「どーだか。」
 結構単細胞。思いこんだらまっしぐら。たまに半屋以下。
「けっこーバカなんだよ、ああ見えて。」
 グランドを見下ろして呟いた半屋の耳は赤く。早良は言葉を失う。
「ノロケかよ…。」
「…ああっ?」
 いきなりすごんできたのも、照れ以外のなにものでもない。相手の欠点を言うとき、 目を細めてる。
「お前って、そんなヤツだったのか…?」
 半屋工。四天王。火薬庫みたいな一匹狼。誰かとつるんでも結局は誰も信じない。学 校でならみんな目をそらす。町でなら、みんな媚びる。そういう男の筈だった。
「勝手に決めてんじゃねぇよ。」
 やる気なさそうに欠伸しながらそう言った。
「!」
 早良は驚いたような顔をして、それからに空にひびく大きな声で笑った。静かな授業 中の校舎がその声を跳ね返し、ただ上へ上へ、青にばかり吸い込まれていく。
 脳天気そうに見えても悩んでる。我が侭に見えてもまわりをみてる。頭の固い生真面 目に見えても柔らかく受け止める。クールにみえても取り乱す。凛としているようでも 揺らぐこともある。
 ひとつは、いろいろあるってこと。つついてみれば全然違う部分が見えて、一方的に 思いこむだけじゃ追いつめられること。言葉を交わしたら同じ思いを抱えてるかもしれ ないこと。
「ガチでやってみろよ。てめぇなんか絶対勝てねぇよ。」
 フェンス上の半屋は笑っているように見えた。
 早良は呆れて、そして謝罪の言葉なんか口にした自分を後悔した。責められるどころ か、自慢にしか聞こえない。
 ふたつめは。誰かを信じて、誰かやなにかを大切に思うこと。誰かが味方してくれる と信じられること。一人じゃないことが自分を強くしてくれる。
 半屋が煙草をくわえる。早良が吸うのと同じ銘柄だった。セヴンスター。半屋でもそ んな親父クサイ銘柄を吸うのかと思いながら早良はバックポケットに手をやる。
「…?」
 突っ込んでた筈のセヴンスターがない。戸惑う早良の耳に、くつくつと笑う半屋の声。
「!…っ半屋!いつのまにっ!」
 半屋は笑いながら左手で火をつけて右手で早良に向かってセヴンスターを差し出して いる。
「手癖わりぃよお前は。」
 道理で同じ銘柄だと思った。
「んな、ジジくせぇの買うか。」
 舌打ちをした早良は半屋の手からケースを奪い返して一本くわえる。
「オラ。」
 もうしけた顔に戻った半屋がライターを差し出してる。頭に来ても火は頂く。
 吐いた紫煙の向こうに空を仰いだ。
 世界はもっと冷たいと思ってた。辛い思いをしてるのは自分だけだと思って た。勝手に決めつけて閉じこもってた。可能性なんて言葉忘れてた。他人も、自分の存在 も遠かった。たくさんの人を傷つけた。
 やっとわかる。
 世界はもっときっと、冷たくなんかない。みんな不器用で、もがいてる。独りよがりで 悲観的な自分もはき違えた強さの意味もゆっくりとでも変えていけるだろう。
『大丈夫』
 梧桐の言葉、嘉神の言葉、半屋の存在。家族、友人。ひとりではない。
 戦おう。泥だらけでも全然大丈夫だ。
「やってらんねぇな。」
 その声は笑いを含んで、最初のひとりごとよりも幾分温かく。
 すぐに解決なんかできるはずない。だけどちょっとずつでも、自分のことを好きになれ そうな気はしてる。色褪せていった世界も光を取り戻していく。手を伸ばせば掴めそうだ。 あれもこれも欲しいと言ってだだをこねることも赦されそうだ。子どもじみた考えに苦笑 いするけれど、子どもじみた考えを追い出し続けた自分の暗さもいまは少し、客観的に見 ることもできた。


「ほんと。やってらんねぇよ。」
 ここにいる。笑ってる自分がいる。だからきっと。大丈夫。




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Thanks 6000HITS!  松木晃様。
 テーマは、嘉半か嘉早で頂きましたが考えているウチになぜか嘉半ベースの半屋君+ 早良君の話になってしまいました。嘉神君をネタに喋ってるだけの話です。こんなの初 めて書いたタイプの文章ですよ。新鮮です。
 さて、6000hitsです。ありがとうございました。題名は小曽根真の 曲名から。良い曲です。ムーディで美しいジャズピアノを聴きたい方にはお薦めです。 でも文章のBGMはモンパチなんかがいいかと思います。モンキー パ○チじゃないっすよ。それでは、こんなんですが今後とも宜しゅうお願いいたします。     2004.4  イサフシカイ拝 
LTZ.byK/Isafushi