チリチリと風鈴が揺れる。
どこか遠くに、暑い夏がある。




[ ....melting point. ]




半屋がやってくる。
家人と会うのが未だに厭なのか彼は勝手口から黙って入ってくるのだ。
相変わらず約束などない。
夏休みの一日、彼が来るような気がしたら勝手口の鍵を開けておく。
その予想は当たったり外れたりだ。
外れたときは、少しがっかりする。
電話も何もないのだから、勝手に出かけたりもするのだがそんなときに、半屋は自分を 尋ねてしまったりしていないのだろうか。
そんなことに細かい性格の筈だったのにいつしか忘れてしまった。
その代わりに、予定のない日の過ごし方を学んだ。



「……。」
 珍しいものを見たな、と思う。
珍しく午前中から起き出して、嘉神に会いに行こうと思った。
前回嘉神邸に言ったときには、嘉神は喜々としてラムネを冷やしていた。
 でかい図体でガキみてえ。
そう思ったが口には出さなかった。
縁側に盥を出して、氷屋で買った透明度の高い氷を浮かべてる。その中にラムネの青い 硝子。嘉神の凝り性がそんなところに発揮されて。半屋がそこに足を突っ込めばぶつぶ つと文句を垂れる。またアレだ。
『正しくない!』
あちぃんだからいいんだよ!怒鳴り返せば大人げなく反論してくる。
でもあれは少し楽しかったな。
 そう思って自分の家の冷蔵庫を探ってきた。先日姉がぶち込んでいったcoronaの瓶 がいくつかあったから、それを掴んできたのだ。



 で、いつものように鍵の開いた勝手口から勝手に入り込めば。
「――――――。」
 気配がないなとは思った。いつもの縁側にやってくれば。
紺の浴衣の嘉神。足を縁側から庭に降ろして、眠ってる。
投げ出した手の向こうには酒屋の名前の入った団扇。
しきりを開け放ち、風通しをよくしてあるものの、まだ暑い。coronaの入った袋をぶら 下げたまま近寄ってみれば庭が目に入る。
「んだよ…。」
 縁側の下にはこの間の盥。嘉神が眠りに落ちたのはついさっきのことだったのだろう、 まだ角の残る大きな氷。
散々文句を垂れたくせに足を突っ込んでる。
「ったく。」
 蹴飛ばしてやろうかと思う。それを思いとどまって縁側に腰を下ろす。
黙って袋を開けた。coronaの瓶を盥の縁から滑らせる。金色の液体が冷たい水の中でユ ラリと揺れる。指先にかかる水も程良く冷たい。
これからもっと冷えれば、きっとその冷たさで嘉神も眼を覚ますだろう。
縁側に腰掛けて、嘉神の横に並んで寝ころんだ。蝉の声が聞こえる。


肌が心地よい風を認識して眼を開ける。
「……。」
 此処は何処だ?
「起きたか。」
 視界に紺色の浴衣。嘉神だ。嘉神の家だった。胡座の片膝を立ててそこに顎を載せて、 片手の団扇で半屋を扇いでる。
 半屋は片手で顔を覆った。嘉神が眼を覚ますまで起きているつもりだったのに。小さく 舌打ちしてだらりと起きあがる。だらり、と言っても腹筋だけで起きるのだからそこは やっぱり半屋だ。
 盥に足を突っ込んでいたことを指摘するかしないか迷ってる。ふと盥を見るとそこには 西瓜。coronaと西瓜が同居してる。よく見れば嘉神の向こう側には用意周到にまな板と 包丁があった。相変わらずの彼に、盥に足、を追求するのはやめてやることにした。


「麦茶でもいるか?」
 そう尋ねる嘉神が少しバツが悪そうに見えるのは気のせいだろうか。
半屋は嘉神の目の前で盥に足を突っ込んだ。バチャリ。
「こっちにする。」
 思った通りなにも今日は言わない。半屋はcoronaを片手で二本取り出す。いい感じ に冷えていて、半屋を満足させる。
 無言で差し出せば、無言で手をこちらに向けるから押しつけた。分厚い手が押し返す力 が伝わってくる。
   ライムを忘れたな。嘉神に言っても良いが凝り性の彼はかぼすか何かで代用しそうだか らやめておこう。今日は随分と妥協してる。
 やっぱり用意周到な嘉神が栓抜きで封を切る。半屋は庭に眼をやったまま口を付ける。 生温い気温の中で喉に流し込めば笑いたくなるような清涼。まだ日は高く、 アルコールにはまだ早いけど。
 半屋はぱしゃぱしゃと足先で水を撥ねさせる。濃い緑の日本庭園に、落ちる強い木漏れ 日が反射してキラキラする。coronaの瓶片手に、足で西瓜を撫でる。
 嘉神は胡座をかいたままその水の行く先を見ていた。プールから帰る子どもの声が塀越 しに聞こえる。どちらも同じ空気の中なのにどこか隔絶されてる。
 半屋が空を仰いだ。そう思ったら、縁側に倒れ込む。頬が、赤い。随分と機嫌が良さそ うだ。
「…おい?」
「んだ?」
 耳の縁と頬を赤くした半屋がこちらに顔を向ける。日焼けかと思ったがそうではない。
「これはもしかして酒か?」
 もはや半分しか残っていないcoronaの瓶を半屋に向ける。半屋は少し眼を大きくした。
「あぁ?」
 半屋にしてみれば、なに言ってんだ今更。半分カラにしといて、こいつザルか。
「・・・・・・・・未成年だろう?」
 次の言葉は予想ついてる。生真面目な彼の口癖。
「た、うわっ!」
 だから遮った。盥から出した足を嘉神のはだけた足の間に突っ込む。
予想外だったらしく慌てている。
「お。お前、酔ってるのか?!」
「ガタガタうっせーんだよ。」
 またひょこりと躰を起こす。半屋は酒に弱いのか?!いやそうじゃなくって指摘するべ きなのは・・・・・
「酒くらいでがたがた言うな。」
 目の前に瓶を差し出される。いつのまにか一足先に空っぽ。ハーフパンツのふくらはぎ が腿に触れる。無駄のない軽くて堅い足。冷たい。
「あんまがたがた言ってンと禿げるぞ?」
「?!」
 いつの間にか肩に手を回されている。さすがに動揺した。半屋の表情、いつもと同じ。 眉間の皺も、機嫌を悪そうに見せているところも。ただ眼が赤い。
「禿げ・・・・・・。」
 無意識にcoronaを口に運んだ。クラクラするのは酒のせいなのか半屋の暴言のせいなの か、それとも腿の上に乗っているふくらはぎのせいなのか。
 半屋は笑っていないのに楽しそうだ。酒を飲む嘉神をじっと見つめている。
「正しくねえな!」
 自分でそういうと鼻で笑った。楽しそうだ。
「やはりお前酔っているだろう。」
 低い声で問い返すと赤い眼もとが細められる。
「酔ってねえよ。」
「いや、酔っているように見えるが。」
 繰り返せば心底うっとうしそうに眉間に皺を寄せる。
「酔ってねえ。」
「そういうのを酔っていると言うんだ。」
 また口論になる。この前もそうだった。そんなことを繰り返してる。
半屋はふいと向こうを向いてしまう。
「だったら酔ってんだよ。」
 不機嫌に言い放つ。それでも足をのけようとはしない。少しも離れていかない。ドキド キしてるのはきっと自分の方だ。そう思ってるのはどっち?
 半屋は後ろに両手をついて上体を少しのけぞらせるようにして、縁側から空を見上げて いる。庭のビワの葉越しに空が見えるだろう。
「落っこちるぞ。」
 思わず足首を掴めば、むしろそっちに驚いた半屋がバランスを崩す。
焦って半屋を支えようとすれば手から離れたcoronaは弧を描いて盥の中に落ちる。
溢れた金色の液体。盥の中の水泡。
半屋は嘉神の手を振り解いた。
「ったいね。」
 するりと足をのけ、縁側からふらりと足を垂らす。嘉神のcorona。拾い上げると庭にま き散らす。涼しげな細い水流が落ちていく。
二人してそれを眺めてる。


風鈴、蝉、夏の声。
半屋の細いため息の音。


「今日は、泊まっていくか?」
半屋は答えない。
「花火を買った。」
傾けたcoronaの空き瓶を盥に放り込む。
「今日は泊まっていけ。」



半屋が笑った、暑い夏。



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900ヒッツ、『ごはん生活』のHAL9000様にリクエスト頂きました。
当初“半屋君のために規則を破る嘉神君”でしたのに、第二の“自堕落な休日の過ごし方”が 書きたくなって…。すみませんナリ。
し、しかも題名までHAL様に考えていただきました。(至福)
大変おこがましいことですが、どうしてそんなにぴったりくるのかしらと思うくらいハマってます。 自分で書いた話なのに、なるほどと思ってしまった。もう自分で題名考えるのやめようかな…。 ほんとに、ありがとうございました。(合掌)
melting point.しかもこの二人、夜になったら花火するんだよ、ふたりで。