自分だけが目を開けたまま
夜が明けるのを待つ。
窓の外が白く浮かぶ頃やっと目を閉じて
起こされるときにはもう、
何事もなかったような顔をしていよう。



アカ★ツキ
 gratefuldays 





 月の光もない。梧桐のマンションからは卑猥な夜の明かりなど一つも見えない。辺り にあるのは同じ様なマンションや一戸建て、しけた外灯とそれなりに遅くまで開店して いるスーパーマーケットの閉店後の明かりだけだ。コンビニの、下世話に人の夜に踏み 込むような光もない。
 はみ出すことなく規格にそった生活感は孤独を引き立たせる。夜の街にいる とき、たくさんの歌が猥雑で鮮やかすぎる歓楽街の光こそ孤独だと言った。ここに来る とそれが信じられなくなる。どんなに贋物だと言っても、せめてそれに包まれる時間だ けはなにかを忘れることができるはずだ。


 だけどここは。


 孤独の寄せ集めの中にいた方がまだマシだ。
 ここに存在するあの温度も、あの部屋の光も自分のためにはない。触れることもなく ただ見ていることしかできなくて、発した声すら届かない。
 悪い夢はいつか覚めるだろうか。願うことも祈ることもしないのは、そうすべき対象 がわからないから?



 半屋は目を開けていた。月が嫌味なほど煌々と夜を照らしている。ブラインドの横縞 が自分の身体の上を這っている。
 例えばセックスの後、しばらくは意識を飛ばしていられる。なにも考えられないくら いの怠さが有り難いと思う。いつか、そんな風に思うようになってしまった。重荷だと 思うのならこんな行為はやめればいい。
 だけど。
 幾度も幾度もそうやって自分に言い訳をした。無機質なベッドの淵に腰掛けて自分の 膝に置かれた自分の手を見ていた。左手指の付け根の骨、常に胼胝が潰れて赤く抉れて いる。それがその手の本来の使い方をした故だと信じる。拳を使うときの癖が残ってる。 他の皮膚よりも堅くなったそういう部分はキライじゃない。自分の手だ。自分の意志の 赴くままに動く。


 嗚咽のような呼吸に半屋は顔を顰める。ため息のように不規則な呼吸が聞こえ、耳を 塞ぎたくなる。だが半屋はそれをしたことはない。
 はじめてこれを聞いたときは息を詰めた。その場の自分の存在を邪魔だと思った。半 屋は上体を捻って壁際の塊に目を遣る。自分よりも幾分か筋肉を厚くつけた梧桐の躯が そこにある。自分に背中を向けて梧桐は眠る。




強い。誰よりも。強い。




 馬鹿馬鹿しい。誰がそうあることを望んだのだろうか。誰が救いを求めたのか、 お前に。
 梧桐が泣く。それが本当かどうか、こんなに近くにいながら確かめたことはない。知 らされるのならそれでもいい。だけど梧桐はいつも自分に背中を向けているから。
 声もなく梧桐が泣く。それが痛いんじゃない。


 誰かを呼ぼうとする。呼ぶべき人が見つからない。だから厭だ。
 梧桐の背中が小さく丸められて、白いシーツの皺が彼の躯を起点に集まっていく。蛇 の様にうねる月の光が梧桐の躯にも纏わりつく。何かに繋がれたような気持ちになる。 この細い糸を、払いたいのに無意味だ。囚われる物の正体がわからない。目に見えない 物なんて厄介なだけだ。何に対して闘えばいいのだろう。
 やがて梧桐の肩に梧桐自身の指が這い上がる。まるで爪を立てて、自分を傷つけるが 如く。


 梧桐は捜してる。
 暗闇で口にする名前など誰だっていいのに。
 お前の傍らにはあんなに人間がいるのにどうして気づけない?
 夢の中でお前はどうしてその存在を忘れていられる?
 求めても、だれもその手を差し伸べないと思っているのだろうか。
 誰のことも呼べないで、声もなく、夜の中にいるのか。


 半屋は手を伸ばした。梧桐の肩にあるその指に触れる。さっきしたみたいに指の間に 自分の指を割り込ませる。ぎくしゃくと梧桐の関節が動く。
 まるで永遠の様に長い。梧桐の肩は、冷たいはずの半屋の指よりも冷えていた。掌を その肩に押しつける。ここにいることを、教えたい。この存在を認めろ。そう思ってい るのは半屋だけじゃない。同情よりも悲しみよりも、怒りに近い。
 ギシギシと鉛の様に重い梧桐の指が開かれていく。その肩も、その背骨も、ゆっくり と開かれていく。半屋は引かれるままに自分の手を梧桐に預けてやる。左手の堅い胼胝 に梧桐が触れる。温かい呼吸に、半屋は自分が緊張していたことに気付いて、一人照れ ながら気を緩める。濡れたものが触れた。それは涙なのか、唇なのか。


 独りよがりで非力なのはむしろ梧桐なのだと思う。殆どの人間は自分の弱さを認めて それでも足掻くことができる。みっともなさを後悔しながら笑い飛ばしながらどこかに 転嫁することも可能だ。
 赤いテールランプ。白いヘッドライト。
 二つの分流が逆方向へ流れていく。その向こう側、彼の姿を見つけた。ぼんやりと前 だけを見つめてる。鬱陶しいくらい他人に干渉してくるくせに、気付かない。半屋は煙 草の匂いを肺いっぱいに吸い込んで、まだ長いそれを赤いテールランプの海流に放り込 んだ。
 三段飛ばして歩道橋を駆け上がる。金属を弾く甲高い音が革靴の底に響いても、梧桐 には届かない。街の音に掻き消されるから。
 まるで子どもの悪戯のように心に浮かんだ。自分の存在を誇示すること。人混みの中 でも構わない。




 俺は此処にいる。




 梧桐の温度が、半屋の左手を離さない。ごつごつと堅い胼胝に触れてる。眠りながら 違和感があるのだろう。
 例えば行為の後眠るときに抱いていてやる。それはできない。ガラじゃないとかそう いうんじゃなく。優しくしてやろうなどと微塵も思わない。それでいい。
「この、バカが。」
 幾度無言の白々しい夜を自分だけが過ごしただろう。梧桐は誰の名も呼ばずに、半屋 に気まずい思いをさせて。
 今日はじめて手を差し伸べた。だけどそのことで誰かが救われたのだとしたら、それ は一人じゃない。
 半屋は不自由な体勢のままどうにかベッドに横になる。いつか梧桐は背を向けず、半 屋をちゃんと眠らせてくれるだろうか。半屋は無理に、枕に頬を埋めた。とてつもなく 疲れてた。


 半屋は目を閉じる。



★★★




 不自然な関節の曲がり具合に、左腕に痺れを感じて目を覚ました。俯せに寝た自分の 左側が広い。
 身体を起こそうとすれば痺れた左腕には力が入らずふと目に入ったのはきちんと壁に 掛けられた制服。半屋の分だけ。半屋はため息を吐く。制服に貼られたメモに、朝から あの毛筆書きで、
『さっさと学校へ行け』
 腕が痛い。誰のせいだと思ってんだ。
「……。」
 腕の神経が復活してはじめて気付く。首を左側に曲げて、ぴりぴりと神経の蠢く左手 を目の前に持ってくる。
 複雑な顔でその手を見つめてる。
 指がくっついて離れない。おまけに赤い。
 なんというのだろう、まるで何かに握られて長時間固定されたようだ。半屋は舌打ち をしてその手を振って、こびりついた指を離ればなれにする。


 多分貸しを造った。だけど今日のあいつはもう、その貸しを知らん顔し、自分は自分 で貸しも借りも単なる重荷だと、そう言う顔をするんだろう。
 わかってるくせに。
 そんなことばかりだからちっとも前に進まないのだと。



★★★



 俺は呼んだ筈だ。
 あの日歩道橋の上からお前の名前を。
 お前見上げただろう。
 俺を。
 覚えていろ。
 お前の知る名前すべてを。




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センチメンタルな感じで。
こんな梧半、いかがっすか?


★★★


メーる?



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