ケイタイの表示は“公衆電話”。
今時?
クラブの大音響のなかでそんな電話を取った。
当然のように何も聞こえなくて声を荒げた。
聞こえた唯一の言葉は
「このクソザル!」
電話を、切った。



ヨル★カゼ
 gratefuldays 





 地上の光が全部空に吸い込まれていくような気がした。たぶんそれは気のせいで、向 かい風に突っ込んでいくその速さに掻き消された。コンクリートの道路の、滑り止めの ボコボコですら通り過ぎてからやっと衝撃を伝えるようだ。
 半屋は膝と腿で荷台を挟んだ。ぼろぼろの自転車が軋むより速く駆け降りた坂道は本 当に一瞬で、その速度のまま梧桐は前方の平地を駆けていった。見えてたのはそう広く もない梧桐の背中だけで景色なんか何一つ見えなかった。速度に脅えて背中に抱 きつくなんてそんな無様な真似をするわけない。
 梧桐は一度もブレーキに触れなかった。東京タワーがどうなったかなんてまるで知ら ない。坂下の駐車禁止の標識が恐ろしい速さで近づいてきたのが見えただけだ。思わず ハンドルを締め上げた手が痛い。考えてみれば下らない痛みだ。半屋は強情ぶって抱き ついてはこなかった。らし過ぎて笑える。
「サル、曲がるぞ。」
 左へ向かうカーブ。半屋の体重が曲がりたい方向にほんの少し移動させられたのを感 じる。見えてくる前方には緩い下り坂。右手は誰か金持ちの家の土塀が続き、左手は高 級そうなマンションだった。土塀の向こうから、夏虫の名残が聞こえる。
 二人を乗せた自転車はそのまま車線道路を走った。所々の街路灯だけ白く光ってる。
 やっぱいつもと同じ、なんにもしない夏が過ぎた。クラブに行ってもつまんない。媚 びてくるヤツらといてもくだらない。音楽は精彩を欠いて、夜の街も暑苦しいだけで。
 終わりを願った夏が過ぎていく。ぼんやりと濃い藍色の住宅街を見送ると、頬 にあたる風の温度がちょうどいい。
 去年と同じ、夏が終わる。二学期は文化祭体育祭芸術祭。明稜高校生徒会に夏休みは 無きに等しい。いつもの場所に、いつもの存在はなく。会いに行く義理もない。漕ぎ進 むペダルに二人分の体重がある。東京に闇はない。


 半屋がコツリと、頭を梧桐の背中に預ける。随分と長く走った。東京の空気が一時だけ 澄む時が来た。白んできた空が東を示す。霧のような白い冷えた空気が染みてくる。
 眠いのだろう、半屋は黙ったまま梧桐の背中に頬を押しつけて代わりゆく景色を眺めて いる。梧桐の腰に抱きつかない強情さはどこへ行ったのだろう。
 良く知った交差点に差し掛かる。豆腐屋のシャッターが開いている。誰もいない歩道を 駆け抜ける。車道にもまだ、車の姿は見えない。今何時頃だろうか。
 まだ目を覚まさない窓と、鮮やかさを失いつつある外灯の明かりを過ぎる。いつもの角 を曲がる。
キッ。
 ボロ自転車らしい軋音で自転車が止まる。
 半屋は黙ったまま自転車を降り、バックポケットの鍵を探る。乱暴に鍵を開けると自分 よりも先に梧桐が玄関に手をかけて開ける。
「んだ?はやく帰れ。」
 愛想無く、あくびをしながら言うと梧桐は尊大に言う。
「シャワーを借りるぞ。このままでは登校できん。貴様も清潔にして登校しろ。」
「バカかてめぇは。勝手にしろ。」
 眠気に反論する気も起きずに半屋は屋内に入る。朝帰りばかりの息子に、家人が起きる 気配はない。どうせ自分のペースをテコでも守る人たちだ。
 ただ、シャワーでもひと浴びしてからベッドに入る方がいいなとは思った。


 部屋の時計をみると午前五時。緩慢に濡れた髪を拭き、ベッドに腰掛ける。適当にタオ ルをバスルームに放り込んで置いたから、勝手に風呂でも入って勝手に帰るだろう。
 いつものごとく何の気遣いも見せずに半屋はベッドに横になった。あのバカはこんな時 でもクソ律儀に登校するつもりなのだろうか。巻き込まれるのはごめんだ。


 部屋のドアが開く音。
「…んでんなモン着てンだよ。」
 眠気に負けそうだが一応突っ込んでおく。部屋のドアを開けた梧桐は半屋のトレーニン グ用のハーフパンツと半屋のTシャツを着ていた。
「貴様の母堂が用意してくれたのだ!貴様があまりに気が利かんのでな。」
 半屋は聞くのをやめた。目を閉じて枕に顔を埋める。勝手にしてくれ。とにかく眠気に は勝てない。白んでいく窓の下に朝刊を配達するバイクのエンジン音が聞こえる。
 梧桐は何も言わない。なにもしてこない。それが不安でとろとろとした眠気の中にどこ か意識を引っかけたまま漂ってる。
「……。」
 あ、ヤバイ。
「……。」
 背中に遺物を感じる。半屋はやっとの事で身体を反転させると背中を濡らす乾ききらな い他人の黒髪を掴む。
「だ…てめぇ…床、床で寝ろ。」
 眠気が勝ちすぎて頭痛がする。目を開けているのが辛いのに、梧桐のバカがベッドに潜 り込んできた。
「黙れサル。俺は一眠りしたら登校せねばならんのだ。」
 梧桐の声が遙遠くに聞こえる。半屋は力のこもらない腕で梧桐を遠ざけながら舌打ちし た。真夜中に走ったり、自転車の二人乗りなんかするなんてバカみたい。
 黒くなっていく視界に最後浮かんだのは地上からの光に浮かぶ東京タワー。


★★★



「サル!貴様っ!」
 顔を赤くして梧桐が叫び飛び起きる。半屋は緩慢な動作であくびをしてる。
「と、時計はどこだ?!」
 半屋は姉の置いていった目覚ましを梧桐に指し示す。時計が指すのは、
「もう4時ではないかぁ!」
 慌てたり怒ったり忙しい梧桐を半屋はベッドに寝ころんだまま観察している。
(ヤニ、ヤニ。)
 手を伸ばして煙草ケースを手にすればこちらをみていないはずの梧桐は半屋の手から煙 草を奪ってあさっての方向へ放り投げる。こっちをちらりともみないままで。
「に!しやがんだよ!」
「サル!貴様のせいだ!俺は一眠りして登校すると言ったはずだろう!」
 勝手な物言いはいつもだけれどカチンとくる。
「んなもんてめぇの予定だろうが!知るか!」
「サルのくせに夜更かししよって!」
「むしろてめぇのせいだろうがふざけんな!」
 なんていう覚醒の速さ。12時間近い睡眠のあとのヒト喧嘩。


 
★★★


梧桐は眠りに落ちる前、半屋の寝顔を見てた。
半屋は眠りから覚めて、梧桐の寝顔を見てた。


むかつきなんかひとつも感じない。
子どもみたいな良く知ってる顔。
真夜中、自転車の二人乗り、無防備に眠った12時間。


だから何?って見上げた東京タワー。
当たり前の日常だから、きっと忘れない。





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長い割になにもなくてスミマセン。
自転車の二人乗りしかも荷台乗りって男子っぽい。
(男子って言い方いいねえ、フフ。)


★★★


メーる?--------------------------------------------

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