好事      [ a little dragon couldn't fly. ]



「おい。」
 もうやめないか。
 そんな風にいうからまるでヤケ気味に繰り返す。
きっとこんなことは悪戯程度にしか思っていなくて、だからこの行為が当て 付けだなんて微塵も気付かないんだろう。怒っているようには見えないかも しれないが、充分に腹を立てているんだ。


 好きだよ。


 口にしたことのない言葉が脳裏を横切る。そのことが悔しくて頭蓋に立て た指を離せない。意外と柔らかい髪。乱してしまえばイイ。初めて前髪を下 ろしてるプライベート用のあんたを見たときに必要以上にどきどきしたんだ。
 複数同時進行の、俺が恋愛だと思ってたもの。性欲処理と見栄。キス一つ 鬱陶しいだけ。セックスの途中際だつのは個々の器官だけ。相手に自分がど んな風に見られているかなんてどうでもいいことだった。


 覚えていてよ。


 思ったこともないことが頭をよぎる。そんなにドライでもなかった自分の 性格と。どう思われているか気になる唯一の人。離れていく背中を引き留め たくなる。互いに背中を向けるなら、先に振り向くのは悔しい。悔しいと思 う程。


 混ざり気のない匂い。男物の香水の匂い、必要ない。化粧品の匂い、必要 ない。彩るもの、いらない。そのままの肌の色。綺麗な歯並び。キスをする とき、舌を滑らせるのが好き。
 どこまでも入っていきたい。


 その声で。


 その声が名前を呼ぶ。初めて意味をもつ自分に付けられた記号。 下唇を舐め上げる。鬱陶しそうに唇を離そうとする。その腕もその手も開か せる。触るならどこでもいい。
 首に腕を廻して締め上げる位に抱きしめる。冷たくなった耳に唇を押しつ ける。耳朶まるで唇みたいで甘噛みすると厭がって首を竦める。


 厭がること、したい。


 キスをしたとき照れたように、困った顔をする。だから必要以上に余裕に 満ちた顔をしてやる。こんなことはなんでもない。そういう顔を。そうする と余計に困った顔をして、厭がる。だからするんだ。
 舌を入れる。絡ませる。軽く震えるように触れてくる。ずっとしてたい。 もうなんど繰り返しただろう。わからない。数え切れないくらい。過去はお 互い全部リセットしたのかな。わからない。忘れてしまった自分の過去と、 きっと律儀にひとつひとつ覚えているだろうこいつの過去。絡み合うことな んかない。現在も未来も絡み合うことなんかない筈だった。


 だけど絡みついてしまった。


 繰り返すキスと、一回じゃ足りないセックスと。タトゥーを眺めてた。他 のヤツらがしようとしたみたいに触れては来ない。誰にも触れさせなかった。 頑固に護り続けてきたモノも、一瞬で『触って欲しい』に変わった。
 抱きしめたら鼻の頭が胸の龍に触れる。浮き上がるような黒い龍の色。皮 膚に刻んだのはそんなに昔のことじゃない。なのにあの場所もあの時も、あ の頃の自分もまるで遠い遠い場所のものみたいだ。ぼんやりとした空気の向 こうにある。
 どうしてあの頃よりも孤独だと思うんだろう。


 時間の継ぎ目に浮かぶのはいつもこの顔になった。自分のどこだかわから ない場所を痛ませる。


 互いの肌の継ぎ目を互いの汗が埋めていくようなセックスでもいい。削り 取られるような乱暴さでもいい。一日中、ただ傍にいるだけでもいい。
 分厚い肩を掌で掴んだ。流れるような褐色の肌。人工の色ではなく、太陽 の匂いがする。背骨を曲げてキスをする。腹の上に跨って、上から背中を曲 げて見下ろす俺をこいつは、子どもみたいだ、と少しも笑わずに言う。言っ てやろうか、
 お前の躯の、どの筋肉も知ってる、って。


 太陽の匂いがする。触れあっていても離れていても、未来も現在も、存在 を知らないでいた過去ですら、この匂いで満たされるように。
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