日常の色が変わる。
内側から締め付ける御せない感覚に惑わされ、
それでも意識ははっきりしてる。
顔をしかめることなく、立っていられるとしたらそれは。


[ a little dragon couldn't fly. ]



煙草の煙が空へ吸い込まれていく。
冷たい空気の中で、太陽の光が白く目を灼く。
半屋は煙草の火をコンクリートに押しつけて消し、目を閉じる。
いつもより空に近い場所。
工業科の屋上。
他学科よりも心持ち高いフェンスにもたれてだらりと身を投げ出している。
工業科の三年が屋上にのさばって喫煙しながら授業をサボっていたが一瞥をくれると すごすごと出ていった。


だから一人だ。


眼下の校庭でサッカーをする声が聞こえる。


両手を腹の上に載せて、目を閉じてる。無防備だ。
過去とは確実に違うもの。流れ出していく想いは穏やかだ。
自分を曲げないように抗う想いはどこへ。
自分の強情さすら肯定したくなる。


何も知らないはずのあの男に感じる距離感は違和感。
ただし遠いわけじゃない。


まだ混乱してる。
誰かの体温が欲しいと、自ら思うことのなかった過去は、求められるのなら不機嫌以外 与えてた。誰も彼も、その名もその表情も確認したことがない。
‘他人’と‘自分’しかいない世界に立っていた。相手なんか誰でもいい。
そんな日が永遠に続くんだと意識せずに思ってた。


壊れていく。たくさんのものが。


自分のペースは曲げない。
相変わらずの夜遊びと重役出勤。授業もほとんどでない。
ただ、朝も好きになった。
半屋は目を開ける。立ち上がって両手を組んで伸びをした。運動不足は最近解消できな いまま。
屋内に入ればその暗がりに目が慣れずに立ち止まる。それにもすぐに慣れることを知っ ているけれど。
機嫌は悪くない。いつもより心持ち軽快に階段を降りていく。


校門近くでその姿を見つけた。片肘をギプスで固定して、誰もいない並木道を歩いてく る。半屋の姿には気付かすに、頻りに時間を気にして早足で歩いている。
半屋は立ち止まってその姿を見ていた。歩きづらそうなその姿を。
「――――――あ。」
彼が気付いて顔を上げる。目があった。


欠落した感情を埋めていく。
必要ない感情だった。
持っているだけ重い。できることなら考えずに、できることならなくしたままでいたい。
荷物も記憶も軽い方がいい。その方が幾分も楽なはずだ。
逆らう術を持たずに、飲み込まれて複雑になり未練を残し、たくさんのものを背負う。
それを持つことで失う心もあるだろう。


降り積もる雪のように黒土を白く覆っていく。


雪の重さに気付かずに歩いていた。
足跡で溶けた雪は汚れて清らかさを失っていく。
その下になにがあるのか、考えたことはない。
夜の闇の下に、本当は何があるのか見ようとしなかったように。
何も考えずにいたわけじゃない。頑なに考えまいとしていたのかも知れない。永遠に 存在しないと思っていたものが今はここにある。


「もう帰るのか?」
友人にするみたいに話しかける。半屋は短く肯定した。
「そうか。」
考え込むように嘉神の言葉がとぎれる。半屋は嘉神の頬を見ていた。
はじめて、届かないかもしれない、と思う。
だけどハイジャンみたいに高く飛びたい。


嘉神の腕が伸ばされる。始めての時みたいに。
半屋は身構えなかった。
嘉神の手が、ほどけたマフラーを半屋の肩にかけ直す。
「布を首に巻くのが流行っているようだな。」
半屋が顔を上げる。
確かに、エスニック調のストールを首に巻くのが流行っていた。
「こんなマフラーは流行らないだろう?」
分かって言ってるのか、だとしたら思いのほか、コイツは人が悪い。半屋は肩を竦めた。
「人なんかどうでもいい。」
目を閉じて、半屋の手がマフラーをふわり掴んだ。
「これでイイ。」



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