[ a little dragon couldn't fly. ]
_桜桃の味。




手伝え。
面倒だから尋ねもせず、いつもの如く気にもせず。
手伝え。
だから、荷物の運搬をだろ?なんて今更。言う気にもならない。


 大きな彼の広い肩に掛かるブルーのエプロン。肩の上には男の子。両手にぶら下がるの は二人とも男の子で、足に絡みついているのは女の子が一人。
「ねーおにいちゃん先生、遊んでよ!」
 まさか、とは思ったが他に誰がいるだろう。体中子どもの為に使っている色黒のでかい 男でなけりゃ自分だろう。半屋は眉間に皺を寄せて見下ろす。
 期待に満ちた眼をした男の子。有り得ない。半屋工を知る人間だったら有り得ない。半 屋にとっても有り得ないはずの状況がこの身を襲っている。身の処し方のわからない、余 りの居心地の悪さに脱兎の如く逃げ出してしまいそうだ。
「おにいちゃん先生、だるまさんやろ。」
『おにいちゃんせんせい』しかも『だるまさん』。身を飾るモノにこだわるのは嫌いじゃ ない。だけどそれほど自分の見た目やイメージを作ってる訳じゃない。
 だけど、どっちも想像できない。っていうか赤くなるほど恥ずかしい。半屋は眉間の皺 を深くして、赤くなれずに瞼をひくひくさせている。
「いや、俺は」
 遠慮しとく、そう言いたかったのに。
「半屋、俺はいま手が離せん。頼む。」
 子どもにまみれた嘉神が非常にそう告げる。
「な。」
 嘉神はずるい。少し困ったような笑顔、それだけで半屋を動かす。




 だるまさんが、ころんだ。


 ぶっきらぼうにそう言って緩慢に振り返る。どうしたって皆、あんなにじっとするのに 困る体勢をわざわざ取るのだろうか。辛そうな幼稚園児をしばらく観察してみる。
 片足で、くらくらと伸ばした両翼をふらつかせている。
「お前。」
 名前を覚えてないから。そんな感じ。さっきから半屋に世話を焼いている女の子が口を だす。
「ひさし君だよ!」
 半屋はちろりとその女の子の方を見る。その子は確か
「ひさしとエリカ。」
 小さな小指が自分の小指に繋がっている。その連鎖の先を顎で示す。さっきから鬼ばか りヤラされてる。勝負なんかして、意味ねえじゃん。『だるまさんがころんだ』なんて、 よく考えても記憶にない。ルールすら知らない他の誰かがやってた遠い遊びを今更こんな ところでヤラされてる。もうすぐヤニギレになる。
 嘉神は赦さないだろうなあ、こんなところで煙草吸うの。
 ぼんやりとしていたら手が離されて歓声とともに子ども達が走り去っていく。


「ったく。」
 三歩半の幅跳び、幼稚園児の三歩とは違う。もうそろそろお役後免になりたくて半屋は 半ば本気で狭い園庭を跳んだ。
 子どもが本気でわめく。
「ずるーい!」
 ずるいなんてことあるかよ。もう三回も鬼やらされてんだぜ、こっちはよ。
 一番近くの子どもを小突く。
 終わった終わった。もう、ポケットに手を突っ込んで門の方へ歩いていく。道路に出て でも一服するつもりだった。


「たくみおにいちゃーん!」
 ぐいぐいと子どもの手がシャツの裾を離さない。
「んだよ。」
 律儀にも振り返れば青いエプロンの嘉神が笑ってる。
「おにいちゃん先生もだるまさんやるってぇ、ねえ、たくみおにいちゃんもう一回!」
 半屋はげんなりと嘉神を見る。睨む気力もありゃしない。
 嘉神、俺はお前になにかしたのか?


なんだってじゃんけんに弱いんだろう自分。
面倒だからぐーしかださない。それを幼稚園児にもすっかり読まれてる。


『だるまさんがころんだ』
馬鹿げた台詞をなんど繰り返しただろう。こんな姿、嘉神以外の誰に見せられるだろう。
また誰か動き出すのを観察してる。小さめの遊具の詰まった狭い園庭。多分幼稚園児には 十分に広い庭の嘉神はまるでガリバー。子ども達は嘉神の近くから離れず、または作戦を 練って嘉神の後ろに隠れている。
 誰も蹌踉けたりしないから振り返りかけた。そこに嘉神の声。
「うあ?!」
 半屋は心の中でニヤリ。何人かの幼稚園児がふざけて嘉神を押した。無防備な嘉神はそ れに思わず蹌踉けて。
「ん。」
 半屋は顎で嘉神を示す。幼稚園児のニヤニヤ顔。半屋を含め。
 嘉神は辺りを見渡すが誰が救いの手を差し伸べるだろう。仕方なく半屋の方へ歩いてく る。半屋は手を出さなかった。そんなことは必要ない。繋ぎ止めておく必要など。  だけど幼稚園児は容赦なく。ただ立ち尽くす二人に猛烈なブーイングが起こる。
「ちゃんと繋ぐの!」
 顔を見合わせて、少し照れた。半屋は右手で嘉神の袖口を掴む。
「小指!」
 わざわざやって来て小指同士を繋げてくれる園児までいるのだからご苦労様。半屋は唇 を噛んだ。
「半屋。」
 嘉神の心配そうな声に顔を上げて、嘉神に向かい合う。
「んだ?」
 伸ばされた手の甲。避ける間もなく頬に触れられる。
「大丈夫か?顔が赤い。」
「ばっ…!」
 バカかてめぇは!
 そう言おうとして舌をもつれさせる。隠そうとしても色の白い半屋の気持ちはすぐに顔 に出てしまう。こんな風じゃなかったのに。ずっと、感情を隠したままでいたはずなのに。 目が回りそうにアタマに血が上る。クラクラして半屋は自分の額を押さえた。
「…ったく。」
 言っても無駄だから、飲み込んで後ろを向く。ぶっきらぼうなだるまさんが転んだ。根 本的に、有り得ないだろう。こんなことをしている自分。
 ここにいる、園児達と同じ年の時ですらこんなことは有り得なかったのに。いつも一人 で居た。空手道場では同い年の子どもの相手にはなれなかった。強すぎたから。人との上 手いつき合い方が理解できなかった。限度なんかわからない。相手が自分をみて脅え、関 わりたくないと思う気持ちだけ敏感に捉えていたから、関わるのはやめた。
 これくらいの子どもはすぐに泣く。面倒だった。自分には泣く能力など無いから。泣か された子どもが常に被害者な訳でもなく、泣かない子どもがいつも悪いというわけではな い。それを理解する大人は、少なくとも半屋のまわりには少なかった。
 誰かと遊んだ記憶がない。ジャングルジムのてっぺん。滑り台の頂上。首を仰け反らせ て空を見ていた記憶だけがある。
 半屋は振り向いて、くらくらと振り子のように動く子どもの名を呼ぶ。嘉神以下、小さ な人の鎖も大分と長くなった。もうそろそろ千切られるだろう、その鎖の先に、半屋は力を 込める。厚みのある大きな手の、太い指。嘉神の手。指切りのように小指を繋ぐことなど これから先もきっとないだろうから。


「切ったぁ!」


 なんども繰り返した決まり文句の途中。甲高い得意げな声と、それに続く歓声。遠ざか る、一瞬の躊躇の後に。一瞬のことなのに離れていく指をしっかりと感じ取った。絡まる 指を解いた小さな手の温度も。気付けば子どもたちの歓声とともに走る彼の背中が見えた。
 制止する言葉を忘れた。彼らが園庭の端まで逃げて、それでも何も言わない半屋を振り 返るまで。

(c)copyright.K/Isafushi2002