誰か止めて。どうか止めて。
神様でも悪魔でもなんだっていいよ。
自分じゃどうしようもない。
この、心臓の破れそうな高鳴りをどうか。


 [ ランブルフィッシュ]


 こんなとき、どうしたらいい?タヌキ寝入りなんてしなきゃよかった。何気ない 風を装って目を開けて『あ、俺寝ちゃってた?』なんてわかりきったこと、訊いた ら良かった?
 誰かの気配に、静かに目を開けた。あいつの背中が見えて、胸が痛んだ。振り向 いたあいつと目を合わせたくなくて、俺は眠ったフリをした。


 忍ぶような足音が近づいてきた。
 俺は外れたイヤフォンがとてもとても気になって、そこから漏れてくる微かな音 楽は俺をただ動揺させた。どうして、って思うだけ。どうしていつもみたいに冷た くなんの興味もなさそうに通り過ぎていかないんだろう。
 俺は願ってた。いつもと同じように。通り過ぎていってくれるように、俺になん か目もくれずに、俺の事なんか気にも留めないで、って。
 なのに、どうか頬が赤くなっていないようにと願う。青ざめていきそうな感覚が 意思に逆らって温度を上げていく。
 あいつ、立ち止まった。俺の30センチの傍らに。


 長太郎なら当たり前の距離。あいつのは過剰。忍足でも別に気になんかしない。 だけどコイツだけは違う。自分だけは違う世界に住む人間って顔して生きてる。絶 対なんかされる。でもエベレストよりプライドの高いコイツのしそうな嫌がらせっ て思いつかない。

 その前に、正直思考止まった。

 息を止めてしまった。頬に触れた跡部の匂い。じわりと唇に触れた。息を止めて しまった。



 なんて長い一瞬なんだろう。俺は眼を開けられなかった。遠ざかっていく跡部の 足音なのか、自分の心臓の音なのか。教室の戸が閉まったような気がした。だけど 俺は不自然なほど動けない。まるで金縛りみたい。掌に汗をかいてる。立ってるわ けじゃないのに膝が震えてるみたい。頭は混乱してて、ただただわけわかんない。


 やっと眼を開けられたのはどれくらいたった頃なんだろう。ものすごく長い間じ っとしていた気がするけれど意外と短い時間だったのかもしれない。


「……。」
 眼を開けた先にあったのは、拍子抜けするくらいいつもの教室。眼を閉じて居眠 りを始める前と全く同じ。俺は最初と同じ、きちんと閉じている教室の白い戸を呆 然と見つめた。それから汗ばんだ掌を開く。
 現実かどうか疑う。あいつの制服の匂い。ぱりっとした衣擦れの音まで聞こえた。 あったかい息が頬に触れた。それから唇と。
 そこまで行って俺は意味もなく頭を横に振った。一人なのに頭を抱えて呻いた。だ れか入って来ちゃったらかなり変なヤツ。
 ――――――――――そんなことあるわけない。
 感覚の残りすぎたあまりにも非現実的な出来事が俺を混乱させる。あいつがそん なことするわけないなら、俺のは夢なのか妄想なのか。それならなんで俺はそんな 幻想抱いたりするのか。頭悪いのに考えられない。俺はまた頭を振った。


 ずるい。ずるい。ずるい。
 俺は眼を開けられなかった。もしもこの出来事が現実だとしたら、俺は眠ったフ リをして跡部の行為を知ってしまったことをずっと隠していなくちゃならない。も しかして現実じゃないとしたら、隠していなくちゃならないのは余計にそう。
 どうしたらいいんだろう。おかしいの誰かに気付かれたら。長太郎は俺の異変に すぐに気付いてしまうかもしれない。自意識過剰な俺の。
 どうしたらいいんだろう。もしも跡部の傍らで、同じ匂いがしたら。聞こえてる はずなんかないぱりっとした制服の衣擦れが聞こえてしまったら。


 あいつが鼻で笑ってくれたらいいのに。お前にそんなことするわけがないだろう 、って。



 俺は眼を逸らさずに、お前の背中を追わなくちゃならないのに、どうして。


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