もしも彼が彼を好きだったとしたら。
敵わないかも、なんて思った。
あなたは馬鹿にするかも知れないけれど、
本当に、本当に弱気になったのだって初めてだったんだ。


 [ ランブルフィッシュ ]




「下手くそ。」
「うるせーんだよ!」
「こんど俺に負けたらそのウザイ髪切るか?あ、どうせ俺が勝つから意味ねぇな。」
「んだと!」


 とてつもなく気位の高いテニス部長と、彼が廊下を歩いていくのを見た。ほとん ど足を踏み入れない三年生の教室エリア。いつだって目だけは笑っていない部長が楽し そうに笑ってる。絶対に他人なんかと相容れないみたいな、自分だけ天上界にいるみた いな、そんな特別な空気を彼はどこかに置き忘れてる。
 宍戸の束ねた髪を解いてかき回して、ただの15歳みたいにじゃれ合ってる。


 わざわざ伝えに来たくだらない話を忘れてしまった。どんなにくだらないことでもい い。彼の顔が見られるならどこにだって行きたい。
「はぁ・・・・・。」
 大きな溜め息を吐く。屋上の手すりに凭れて嫌味なくらい青い空を見上げる。
(行くんじゃなかったー…。)
 跡部の腕の下で宍戸がムキになって、頬を赤くして。宍戸はいつもの宍戸だった。
(…跡部さんが、あんな)
 見たことのない跡部の顔。誰にも不可侵の彼の顔。ツンとすました彼が宍戸の居所に 踏み込んでいく。あんな風に笑って。
 胸が痛いのは、それを宍戸が赦していること。


 生まれた日なんか、一年も変わらない。学年の始めと終わりを決めた誰かを今から恨 もうか。知らない誰かが勝手に決めたことが、自分と宍戸の間に大きく大きく横たわっ ている。
 一緒の教室で勉強できない。呼び捨てに出来ない。一緒に修学旅行に行けない。体育 祭も文化祭も一緒じゃない。そして一年も先に卒業してしまう。あの人は、あの人はち ゃんと三年間宍戸さんと一緒に過ごせるのに。
 跡部の一年。自分のマイナス一年。ダブルスだろうが、同じ部活に居ようが、埋めら れない時間がそこにあるのは確か。
 跡部が笑ってた。あんな跡部は知らない。それを赦す宍戸も知らない。部活でも、い つもあんな風ならなんにも思ったりしない。自分のいない場所であんな顔されたら勘ぐ ってしまう。まるで隠されてたみたいで。まるで二人のお互いに対する感情が特別みた いで。
 授業開始のチャイムはとっくに鳴った。屋上から退散していく制服をぼんやりと眺め た。長太郎はその場にしゃがみ込む。
(だーっ・・・・。)
 まるで隠されてたみたい。さっきそう思った。だけど考えてみれば、考えなくても、 “隠す”必要なんかない。隠し事をするしないっていえるほどの関係は宍戸との間には ない。
(だめだ…俺…。)
 彼に、自分と、跡部との、存在の大きさを比べろと言ったら。
 絶対に口にすることなんか出来ない仮定が心に浮かんだ。そんなこと絶対に訊かない。 どんなに心を許した相手にだって言わない。だけどそれが心を曇らせていく。
 跡部の想いなんか知らない。知る由もない。弱味も優しさもみせない。ほんとに笑っ てるのかどうかもわからなかった。とても強い人。彼の弱さなんか知らない。
 そんな人が、あんな風に笑う。宍戸の前で。
 まるで特別なことみたいに。


 屋上のコンクリートに足を投げ出して空を見上げる。馬鹿みたい。昼休みを挟んだ5 時間目は確か英語だった。階下から英語のテープを復唱する声が聞こえる。自分のクラ スだろうか。
 宍戸さん、宍戸さん、宍戸さん、宍戸さん。
 何度も繰り返す。とても大切な言葉になった。子どもっぽい独占欲で自分の身体が満 たされていく。きっともう、溢れだしてしまう。
 宍戸。
 跡部の声を思い出す。勘ぐってしまったのは自分の想いが大きすぎるせい。きっと跡 部は自分が想うように彼を想ってるわけじゃない。だけど、彼と彼の繋がりを飛び越え ることはとてつもなく難しいことのように思える。
 長太郎。
 彼の声を思い出す。とても好き。長太郎はスローモーションで瞬きをする。“宍戸さん” が“宍戸”になることなんかない。“宍戸さん”はずっと“宍戸さん”だ。埋まらない 越えられない。呼び捨てにできる立場にいたかった。彼は自分のことを“長太郎”と呼ぶ。 きっかけは何だったか。無邪気に喜んでた。純粋に嬉しいと思ってた。だけどもしも、同 じ年だったら彼は自分をなんて呼ぶんだろう。
 欲張りになる自分を止められない。誰より傍にいたい。なんでもない日常を彼といたい。 今のままで十分なんて言えない。
 もっと欲しいよ。


 長太郎はかろうじて起こしていた上体をくたりと横に折る。寝ころんで見上げた空はや っぱり、彼の心を無視して、嫌味なほど青い。まるで長太郎の不純を責めているみたい。
 ダセェなって彼が言ってくれたらいいのに。
 目を閉じることが出来ずに青い天球を抱えてる。ジレンマがたまって鼻の奥が痛かった。



 もしも彼が彼のことを好きだとしたら。



 勝てないかもしれない。





+++ home | junkyard | RF02 | RF04 +++

(c)copyright.K/Isafushi2002